ジャンプSQ.
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太田垣康男先生 直撃インタビュー 完全版




 

―――斎藤さんも絶賛のとおり、リアル宇宙マンガNo.1と言われていますが、なぜこのような作品をお描きになろうと思ったのか。もともとSF志向がおありだったのですか?

太田垣:世代的に僕が中学生くらいのときは、60〜70年代くらいからのSFブームがまだ残っていたし、当時はハヤカワSF文庫が大好きで、よく読んでいたんです。

SQ:日本ものですか? 海外ものですか?
太田垣:海外の方が好きでした。アーサー・C・クラークとか、ハインラインとか。当時は日本のアニメーションでも、ガンダムとか始まって、SF色が強くあったんで、憧れはずっとあったんです。

SQ:最初のデビュー作は、モーニングの家族もの…といった感じでしたよね? 親子のお話とか、熱いヒューマンものというイメージがありました。
太田垣:いや、あのー、SFやりたいとは思ってたんですけど、いざマンガの世界に入るとき、やりたい方向性がちょっと変わりまして。高校生くらいの時に、今度はラブコメがまたブームになりましたから(笑)

SQ:サンデーあたりですね。
太田垣:そう。それに触発されまして。ラブコメやろうと思いながらマンガの世界に入ったんですけど、これが自分の得意な方向じゃなかったらしく、うまくいかなかったんですね。

SQ:最初は、持込から始めてらっしゃるんですか? 投稿だったんですか?
太田垣:いや、アシスタントに入るのが先でしたね。絵を全然描けなかったんです(笑)、実は。

SQ:尾瀬あきら先生のところからですね。
太田垣:はい、アシスタントに入って、描き方を教えてもらって、ようやく処女作ができたっていう。

SQ:ちょっと珍しいケースでよすね。
太田垣:そうなんです。独学では描けなかったので。

SQ:経緯を伺ってもいいですか? どんな感じで尾瀬先生のアシスタントに採用されたんでしょう。
太田垣:えーと、尾瀬先生の作品は高校生の頃から好きだったんですけど、高校を卒業して1年半くらいは、地元の大阪でバイトしてたんです。マンガ家になりたいと思いながら、全然描けなくて。起承転結の「転」が思いつかないっていう、ネックですね。独学でやるにも限界があまりにも早くきてたんで、これはダメだと。もう、お話作りの上手な先生のところにいって、話作りを基礎から学ぼうと思って。

SQ:絵というよりもストーリー的に詰まっていたということですね。
太田垣:そう。それで手紙書いたんですね、アシスタントにしてくださいって。スケッチブック一冊に絵を描いたんですけど、あまりに下手だったんで、しょうがないから色つけてごまかせ(笑)と、全部カラーで送りました。そしたら尾瀬先生から、「まんがは白黒で描くもんだから、色はいらない」と返事が来て。「もう一回送ってきなさい」と。それで全部描き直して1週間後に送ったら、ちょうど切り替えの時期だったらしくて。スタッフいないんで、来てくださいと。

SQ:その当時、尾瀬先生の連載としては、どんな感じでしたっけ。
太田垣:えーと、『初恋スキャンダル』が終わって、『リュウ』という…。

SQ:少年サンデーですね。
太田垣:そうです。初期の頃に描いてらしたSFとしては、『とべ!人類』っていう短編があるんですけど、それで小学館漫画賞とったんですよね。

SQ:あの、『夏子の酒』のイメージが強い方もいると思いますが、いろいろ描いてらっしゃるんですよね。
太田垣:やっぱり、いろいろ試行錯誤もされて。ご自分のライフワークを見つけるまで大変だったんですよね。

SQ:じゃあ、そういう多様な作風に惹かれて、かつ薫陶を受けたい!みたいな感じで…?
太田垣:そうですね。本当に先生のストーリー性に感銘を受けて、こんなおもしろい話作れる人がいるんだなって。これは直接本人に聞きたいことがいっぱいある、行くしかない!って。

SQ:昔はプロとアマチュアの境目が、今よりももう少し近かったですよね。プロの人がけっこう…同人誌に傾倒したり。
太田垣:そうですね。SFの作家さんってそういう面がありましたよね。


―――SF的なことも含め、こういう部分で特に、尾瀬先生に影響を受けたということがあったら、お聞きしたいんですが。

太田垣:尾瀬先生のところに行って、速攻でネーム描いてみたんです。見てもらわなきゃ始まらないから、無理やりSFの話を作ったんですね。そしたら、「SFなんて描いてたら5年で消えるよ」と言われまして(笑)。

SQ:おお〜、スゴイことを。その頃はそう言われていたんですか?
太田垣:時代的にも厳しいし、ヒットを1作飛ばしても、それだけでは5年後は食えないと。SFにしろ何にしろ、結局は人間ドラマなんで、人間を描けるようになるのが第一だと。絵空事じゃなくて、等身大のものをまず描けるようにしなさいと。そう言われて、確かにSFはまだ早いと思って、自分を投影できる話を描くようにしました。

SQ:あの〜、その当時のネームって、SFのアイディアや世界観とかを全て注ぎ込んでいたんですか。
太田垣:そんな大したもんじゃ…(笑)。いま見返しても、棒にも箸にもひっかかんないような話なので、尾瀬先生の指摘がなかったら今はないと。早めに気づかせてくれたと思ってます。

SQ:では、そこで、SFを封印された?
太田垣:そうですね。先生に教わるために来てたんで、とにかく、こうしろって言われたらハイって。師弟関係だったんで(笑)

SQ:尾瀬学校の一期生だったみたいな(笑)、校長先生だったわけですね。
太田垣:でもスパルタとか、厳しい指導はなく、優しい先生でしたよ。経験豊富ですし、いろいろ知ってらっしゃるんで、言われたことは全部目新しかったですね。先生の言うこと聞いてれば、間違いねえやって。

SQ:SFを封印されて、じゃあ身近なところでやろうということで、青春ものをおやりになった。そこで方向性は定まってきたのですか?
太田垣:おかげさまで、とりあえずプロにはなれて、週刊漫画アクションなどでお仕事もさせてもらえるようになって…自称でなく(笑)。一応世間からもマンガ家って見てもらえるようになったんですね。

SQ:わりと早くアクションで連載をもたれましたね。
太田垣:25くらいです。そんときは、マンガの仕事でやってかなきゃいけないって強い気持ちがあったんで、自分を投影できる感じで作って、とにかく20代のうちは、全部練習に費やそうと思ってました。

SQ:練習ということは、いつか描きたいSF的な世界のために…?
太田垣:こう、SFがはっきり視野にあったわけじゃないんですけど、どの方向が得意で何をやると苦手なのか、そういうのを把握したいなと思って。それで、週刊連載も、わりとひとつのエピソードを短めに切って、次のエピソードではまた雰囲気変えてって感じで。コメディやったり、アクションやったり。

SQ:いろいろ試されたんですね。
太田垣:うん。一通りやってみて、得意分野はわかったんですけど、30歳すぎたら、それがつまんなくなっちゃったんですよ。で、あの〜、上手い具合にモーニングでの連載が、人気がなく打ち切りになりまして(笑)。…ああ、やっぱこういう保守的な姿勢ではいかんなあと。自分の中で石橋叩いて渡ってる感じだったんで。だって、マンガ描き始めた頃ってずっとアナーキーな気分で描いてたのに、一回マンガ家になっちゃうと…。そう簡単になれる職でもないし、なったらなったで、守りに入ってたんですよ。大して守るほどの地位でもないのにね(笑)。でも、どうせマンガなんて、人気がなけりゃ打ち切りにされるだけだし、やれるときにやっとかないともったいない! それで、ようやくSFをやってみようかなと。勝算があったわけじゃないんですけど、とりあえず、やっちゃえーって。

SQ:なぜスペリオールだったんですか?
太田垣:いや、スペリオールしかなかったんですよ。あの、モーニングで、2年くらいやらせてもらったおかげで知名度はあったんで、打ち切りになったとたん「次はうちで」といろんな雑誌からオファーきたんですよ。13誌くらいかな。ところが、皆さんに「SFやりたいんです」って言ったら、すーって逃げてく…(笑)

SQ:(笑)。10年ほど前ですね。SF系は冷えていて、そんなに売れてたわけでもなかった…。
太田垣:今でもシビアですけど(笑)。どっちかというとファンタジー全盛だった時代なんで、ファンタジーの価値を高めるために、SFって古いよねとか、難しいよねとか言われる、そういう時代だった気がします。

SQ:そんな中でスペリオールさんだけが引かなかった?
太田垣:スペリオールの担当さんにも、SFやりたいって言ったら、「うーん、どうかなあ〜…やっぱ業界的にはSFは難しいし、成功する可能性はとても低いと思うけど、とりあえず社にもって帰る」って。そしたら1週間後に当時の編集長がやって来まして、「ぜひやろう!」と。「アクションマンガを描くって言ってたら、目新しくないけど、太田垣くんがSFやるって言ったら何出てくるかわかんないからやってみよう!!」と言ってくれたんです。


―――おお、スゴく感動的な場面ですね。その前段階的にこういうものを描いてみよう…というか、移行期にあった作品は『東方機神傳承譚 ボロブドゥール』(双葉社)でしょうか。

SQ:…というかこのお話は、伺って良いのか悩んだのですけど。掲載されていたコミックバウンドがいろんな経緯の末、廃刊になりましたよね。
太田垣:全然問題ないですよ。まあタイミングはすごく悪かったですよね。でも、おかげさまでこれは廃刊前に全部描き終えていたんです。最後の号に、2話分、80ページくらい一挙に載りました。これは、一回マンガの作り方自体を変えてみようということで、基本的に一人で描きあげたんですよ。

SQ:えー? アシスタントさんは!?
太田垣:一応、仕上げの子だけ一人来てもらって、絵は自分で描いたんです。

SQ:なんてリスキーな…。ロボットを一人で描くのは、自殺行為のように思えます(笑)
太田垣:これで仕事とするっていうより、自分の画力でどこまで描けるのか確かめてみたかったんです。それまで、週刊の仕事は背景も何もかもスタッフに任せちゃってたんで、どっかでガマン、妥協がありました。それがクセになっててイヤだったんで。いっぺん妥協しないで、どこまで納得いく映像を描けるかやってみたんですよ。新人に戻った気分で。マンガなんて元々は一人で描くもんだし、それが量産のためにスタッフを使って、自分の個性が消えてくんじゃ意味がない気がして。だから、初心に戻って3ヶ月くらいやってみました。

SQ:3ヶ月で、200ページ。すごい!
太田垣:えーと。もうちょっとかかったかな(笑)

SQ:でも、そこそこですよね。月産50ページなわけだから。