ジャンプSQ.若手作家が聞く「マンガの極意!」増田こうすけ 先生×左藤真大 先生

《1》漫画家になるまでの経緯、連載に至るまで

左藤真大先生(以下、左藤):新人の左藤です!増田先生を前にしてかなり緊張していますが、本日は宜しくお願いします!!

増田こうすけ先生(以下、増田):こちらこそ不慣れですが、宜しくお願いします。


増田:漫画家になることを意識したのは20歳くらいですね。三重県の短大を卒業した後、普通に就職するという選択肢が頭になくて。

左藤:そこでギャグ漫画を描いた理由は何ですか?

増田:自分の絵が未熟だったことと、ギャグ漫画の方がストーリー物より描くページ数が少なかったからです。

左藤:最初はどこに投稿されましたか?

増田:確か「週刊少年ジャンプ」で、4コマ漫画を投稿したような記憶がありますね。ただ、初めて真面目に漫画を1本描いたのは赤塚賞の時です。そこでの受賞で担当さんが付いて、定期的に読切を送るようになったんです。

左藤:担当さんから何かアドバイスはありましたか?

増田:それが全く来なくって…だから、もう1回赤塚賞に送っちゃいました(笑)。それも準入選だったかな…?

左藤:すごい!2回連続で入選するって難しいですよね!?

増田:そうなんですかね?ただそこからは、ちゃんと担当と打ち合わせするようになりましたよ(笑)。

左藤:連載に至った、一番のポイントは何でしたか?

増田:読切をたくさん送っていたら、当時の編集長の目にたまたま止まったらしくて。そこから読切連載が始まりました。

左藤:連載会議にネームが上がって、そこで決まる…というのが通常の流れだと思っていたのですが、かなり違いますね?

増田:そうですね。投稿を始めたら、割と間もなく連載も始まったという印象があります。

左藤:連載タイトルを『ギャグマンガ日和』と付けた理由を教えて下さい。

増田:けっこう考えたんですけど、決まらなかったんです。最終的に初見の読者に読切連載のギャグ漫画ということが分かるようにと考えた結果、今のタイトルになりました。

左藤:僕は増田先生の作品を小学生の時に初めて読みましたが、直球なタイトルに驚いた思い出があります。

増田:逆にいうと、ひねったタイトルを生み出す発想がなかったというか…(笑)。しかも当時の担当さんに「増田こうすけ劇場」を付けた方が良いと言われて、今に至ります。

左藤:先生自身が付けたものかと思っていました(笑)。

増田:タイトルと著名で毎回自分の名前が2回出るの、未だにちょっと恥ずかしいんですよね…(笑)。

左藤:(笑)。毎回の連載では、どんな打ち合わせをされていましたか?

増田:最初の頃は、右も左も分からなかったので担当にネームを提出していましたね。主に表現上の良し悪し、NGとかを教わることが多かった気がします。ただそのチェックも途中から消えて…3代目担当の林さんのあたりから雑談中心に…。

左藤:じゃあ今では内容に関する打ち合わせは一切?

増田:しませんね。そもそも「ギャグ漫画は自分で考えて作るもの」という意識が、心のどこかにあるからなのかな。担当さんとはご飯を食べるだけです(笑)。

左藤:(笑)。ちなみに先生は連載を始める際、何故シリーズものにしなかったんですか?

増田:確かに最初は不安でした。でも、いざ連載をやってみると、一話完結の方が楽に感じたんです。

左藤:すごいですね…。僕なんかは、毎月違う話のアイデアを生み出すのが大変そうだなぁと思っちゃうんですけど…。

増田:むしろシリーズものだと、縛られる感じがして怖いんですよね。一話完結の方が、いまいちだと思っても次の月で挽回できるので気が楽というか。それと僕は、キャラありきでお話を作らないからというのもあると思います。

左藤:キャラクターを作らない?

増田:つまり物語や設定を先に考えちゃうんです。キャラクターはその後に、物語の邪魔にならない程度で作ります。

左藤:面白い作り方ですね!キャラから物語を作っていく人が多い印象があるので、意外です。

増田:僕もそう出来たら良いんでしょうけど、キャラ作りが苦手で…(笑)。どうしても主役っぽいキャラではなく、変なキャラができてしまうんですよ。

左藤:確かに先生の作品には「ザ・主役」というよりは、トリッキーなキャラがたくさん登場しますね。

増田:でしょ?そういった諸々の理由があって、今の形で落ち着いたんですよ。

取材&マンガ 左藤真大
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