ジャンプSQ.若手作家が聞く「マンガの極意!」星野 桂 先生 & 肘原えるぼ 先生

《3》『D.Gray-man』の核は千年伯爵

肘原 『D.Gray-man』が誕生するまでにはどれくらいの時間がかかりましたか?

星野 『D.Gray-man』に限定すると、回答が難しいですね。というのも、私は新人の時から「千年伯爵」というキャラクターが登場する漫画を描きたいと思っていたんです。自分でも不思議なんですが、当時は「千年伯爵」のことをずっと考えていました(笑)。だから、どんな作品のネームを描いても、その全てに「千年伯爵」が登場していたんです。そして世に出ていないネームやデビュー作『Zone』、読切『Continue』などで千年伯爵を描いているうちに、少しずつ伯爵のキャラクターが固まっていきました。それで千年伯爵を中心に物語を考えた結果、『D.Gray-man』ができたんです。

肘原 千年伯爵が物語の核になっているんですね。

星野 そうです。だから最初は『D.Gray-man』の主人公は千年伯爵だと思って描いていたんですが、伯爵のようなおじさんは少年誌の主人公にはなれないじゃないですか。なので、伯爵は裏の主人公にして、「アレン・ウォーカー」という主人公を新たに作ったんです。伯爵のためにアレンが生まれた感じですね。

肘原 プロトタイプの読切『ZONE』から連載に至るまで編集さんとはどれくらいネームのやりとりをされましたか?

星野 1話につき2回ほどで、計6回ぐらいだったと思います。私はネームを描くのがすごく遅かったんですよ。なので、初代担当の吉田さんとは頻繁にネームのやりとりをしていたわけではなく、1本のネームが完成するまでに何度も打ち合わせをして時間を掛けていました。

肘原 その打ち合わせはどれくらいしていたんですか?

星野 1話につき5回ぐらいだったと思います。1話分のネームを描き進めて、そこで私が期限までにできないと、吉田さんが私の家まで押しかけてきて打開策が見つかるまで延々と話し合うんです。私が眠くてヘロヘロになっても、吉田さんが意地でも帰ってくれなくて…(苦笑)。

肘原 帰ってくれない…!?

星野 12時間、いい案が出るまで冷たいフローリングで話し続けたこともありました。ただその濃密な打ち合わせのおかげで、ネームは良いものが数回で完成して修正も少なかった、というわけです。

肘原 連載をやる上で、物語はどの程度まで考えられていたんですか?

星野 物語のおおまかな流れとラストシーンは決まっていました。でも連載用に考えたものではなかったんです。いつか描きたいなと思っていた物語の一部を切り取り、ネームにして担当編集さんに見せたらすぐにGOサインが出たのでとても焦りました。「よく考えて下さい!これはめちゃくちゃ長い話ですよ!?」と必死で訴えたんですが、新人の私の意見は何も通りませんでした(苦笑)。『D.Gray-man』の話の壮大さは自分でもよくわかっていたので、私はもう少し成長して力をつけてから描きたいと思っていたんです。未熟な私が描いたら、この作品はきっとダメになる…と当時は絶望していました。ただ、みなさんの応援のおかげで続くことになり、今は最初に決めた終着点にたどり着きたいと頑張っているところです。

肘原 担当編集さんとのやりとりで記憶に残っている言葉はありますか?

星野 当時担当だった吉田さんからもらったアイデアは失礼ながら「私にとってはあまり使えない」ものばかりでほとんど覚えていません(苦笑)。ですが、不思議なことにそのダメな案をいっぱい聞いていると、自分の中から良いアイデアが浮かんでくるんですよ。吉田さんのアイデアに負けるわけにはいかない、と(笑)。これは新人時代、吉田さんに「アイデアを絞り出すためなら担当編集を使いなさい」と教えられていたことが体に染み付いているからだと思います。決して私が編集さんを軽視しているわけではないんですよ。

肘原 ネームが詰まった時は今でも編集さんと話し合うんですか?

星野 はい。私はこの方法で編集さんに助けて頂くことが多いですね。例えば「アレンの奏者の唄」。この時は週刊連載だったんですが、歌詞が全く思いつかず追いこまれていたんです。それで当時の担当編集さんに「何でも良いから歌詞を3本出して」と無茶ぶりをしました(苦笑)。でもその作っていただいた歌詞を見たら、自分の中から良い案を出すことができたんです。