ジャンプSQ.若手作家が聞く「マンガの極意!」あらゐけいいち 先生 & 白無新木 先生

《2》持ち込みハシゴで居場所探し

あらゐ 皆さんは何歳くらいから漫画を描き始めましたか?

白無 16歳の時です。部活もバイトも何もやっていなくて、何かしないとなと思って漫画を描き始めました。

日暮 僕は15歳で初めて手塚賞に投稿しました。その後、高校1年生の頃に持ち込みに行ったんですけど、そこでへこんで4年くらい描けませんでしたね…。

あらゐ それ分かります!僕はコミティアにずっと出ていて、「そろそろ持ち込んでみるか」と思っていたんです。で、ある新創刊の雑誌に持ち込んだところ、会議室にずらーっと編集長から副編から編集者まで7人も並び、端から読んで端から皆駄目出し!(笑)あれは厳しかった。他にも何社も持ち込みに行きましたが「よく分からない」と言われることが多かった。あと、ある雑誌(A誌)に持ち込んだら「絵柄がウチ向きじゃない。B誌に持っていった方がいい」と言われたんです。で、そのままB誌に行ったら「ネタがA誌っぽい」と言われて…。自分はどこに持っていけばいいの!?

――あらゐ先生は、かなり積極的に持ち込み先を探されたのですね。

あらゐ 漫画家を目指すにあたり、2005年中は持ち込みをする年にして、駄目だったら諦めて勤めていた写植会社を続けようと決めていました。何とか掲載してもらえることになりましたがさすがに生活が心配で、しばらくは会社員を続けていましたね。

――持ち込みをされる際、ご自身に合う出版社を探している印象を受けますが、逆に、雑誌のカラーに合わせようと考えたことはありますか?

あらゐ 自分の漫画を何かに合わせるって、結構難しいですよね。特にギャグは。でも1回、意識してかなりユルめに描いたことがあるんですよ。あれは勉強になって「成程、こういう感じか!」と思いました。確かに描かないと気づかないことも多く、そこで得たものが『日常』の東雲研究所の原型になりましたね